vol.51 2020年1月
実践経済学科2年 山田 彩華
言葉の壁は高かった。
この旅で日本を初めて出た私は、その想像もできない環境にはじめは少し戸惑った。ホテルの部屋を一歩出れば、そこには日本語のない世界が広がっている。中国に来たのだから当たり前だが、こればかりはなかなか慣れなかった。私たちが日本で一生懸命学んできた中国語は半分以上通じないし、そもそもしゃべるスピードが速すぎてなかなか聞き取れない。私は初めの1週間で小さな挫折を味わった。
学校に慣れるのにも、また時間がかかった。周りにいる外国人留学生はみな1年間から2年間で留学しに来ているため、そもそもの中国語のスキルが高い。長い留学に向けて専門的に中国語を学んできたのだろうと思う。先生が冗談を言ったらしく、それに対して学生が笑っていても、私には合わせることしかできなかった。なかなか友達もできず、このまますぐに3週間が過ぎてしまうような気がしていた。
2週間目のある日、先生が席替えをしようと言った。今まで好きな席に座っていたため、私は一緒に中国に来た県立大生の隣に座っていたが、泣く泣く引きはがされ、ソヨンという韓国人の女の子と隣の席になった。彼女は毎回授業に遅れてきたが、とても頭がよく、中国語も上手だった。ソヨンは日本語も少し話せたので、私たちはすぐに友達になった。明るく活発なソヨンの周りにはいつも人が集まっていて、そのおかげで、私もいろんな人と話ができるようになった。中国語のスキルが上がったというよりは、話を聞き取り、理解する力と、怖がらずに自分の気持ちを伝えようとする努力ができるようになった。
3週目にまた席替えをした。せっかく仲良くなったソヨンと離れるのはとても寂しかったが、今度はカザフスタンのイケメンと隣人になれた。彼は無口だったが、授業の合間の短い休み時間に世間話をすることもあった。彼が話した中国語がわからず、何度も聞き返してしまうことも多々あったが、彼は何度も話をしてくれたり、文字に書き起こしてくれたりした。
たくさんの同級生に支えられ、少しずつではあるが会話ができるようになった。街で買い物をしたり、ご飯を食べたり、行きつけのカフェのお姉さんとも仲良くなれた。初めに感じた高い壁は、いつしかてっぺんが見えるようになって、私はもっともっと頑張って、いつか絶対この壁を越えてやると思った。
1人で勉強し続けても、実践的な中国語は身に付きにくい。今回の旅で、中国に行くこと、たくさんの人とかかわって会話をすることがどれだけ大切かが分かった。たった3週間でも、この経験は私たちにとって一生の宝物となる。